ノーテルの歴史 - 歴代の経営陣


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Charles Fleetford Sise Charles Fleetford Sise  (チャールズ・フリートフォード・シース)

チャールズ・フリートフォード・シースは、Bell Telephone Company of Canadaの創立者である。National Bell Telephone Company of Boston社長のW・H・フォーブス(W.H. Forbes)の指名により、この地位に就いた。シースが設立したNorthern Electricが、後にNorthern Telecomとなる。
 
Charles W. Brown  (チャールズ・W・ブラウン)

チャールズ・W・ブラウンは、後にNorthern Telecomの一部門となる機械製作部門の責任者であった。ブラウンは1882年に、モントリオールの小さなオフィスで、Bell Telephone Company of Canada向けの電話機器の製造を始めた。
 
Cy Peachey  (サイ・ピーチー)

1920年代に入社したサイ・ピーチーは、Northern Electric社内における研究体制の整備を最も強く主張する1人となった。「Western ElectricとBell Labsから切り離されたからといって終わりというわけではない。やり方は分かっているし、優秀なエンジニアは揃っている。社内に研究開発部門を設置して、それを誇れるような組織とするのだ」。
 
H. Holley Keefler  (H・ホリー・キーフラー)

1960年代にBell Canadaから昇格してきたH・ホリー・キーフラーは、Bell CanadaとNorthern Electricとの関係円滑化を期待され選任された。Northern ElectricはWestern Electricからの支援がなくなり、厳しい転換の時期を迎えていたが、キーフラーは難局打開のためヴァーノン・O・マルケスと、サイ・ピーチーを昇格させ、経営幹部層の再編を実施した。
H. Holley Keefler
 
Dr. A. Brewer Hunt Dr. A. Brewer Hunt  (Dr. A・ブルーワー・ハント)

Dr. A・ブルーワー・ハントは、1950年代にNorthern Electric研究開発部門の責任者を務めた。当時、組織はWestern Electricの支援から離れ、困難な転換期にあった。「当時は思い出すだけでも厳しい状況で、進歩も遅々としたものだった。それまでの状況は至極簡単で、どんな問題でも電話でWestern Electricの誰かに相談すれば済んでいた。自分達で考える必要はなかった。その後ろ楯を失った時、われわれ社内の技術スタッフに責任がのしかかり、答えを自ら見つけ出す必要に迫られた」。
 
Donald A. Chisholm  (ドナルド・A・クリスホルム)

ドナルド・A・クリスホルムは、Northern Electricを助言支援した人物で、最も独創的で影響力のあった頭脳派として広く知られている。クリスホルムは、1971年にBell Northern Researchの社長として迎えられた。彼は、スタッフやその家族のためにパーティを開き、Northern Electricの従業員にバニー・ホップを教えたり、工場従業員の起床時間に近衛歩兵連隊のマーチを流すようなこともあった。クリスホルムは、BNRをきわめて重要かつ画期的な組織へと成長させることに貢献した。在任中も、その才能と業績によりさまざまな名誉学位や職務に関する賞を受けた。
Donald A. Chisholm
 
Vernon O. Marquez Vernon O. Marquez  (ヴァーノン・O・マルケス)

ヴァーノン・O・マルケスは、キーフラーの後任として、1967年にNorthern Electricの社長に就任した。マルケスは、交換局用装置、送信機器、ケーブル、ワイヤという製品ラインに合わせて組織を再編した。組織が当時直面した課題について、マルケスは次のように振り返っている。「最も困難だったのは、人の問題だった。わが社は、新興の企業ではなかった。1957年にはすでに60年以上の歴史があった。社員には決まった考え方や慣行が深く染みついていたが、われわれはこれを変える必要があった。それこそが、最も難しい課題だった」。
 
Robert Scrivener  (ロバート・スクリブナー)

ロバート・スクリブナーは、1962年にBell Canada社長に就任した。スクリブナーは、Northern Electricを成功に導いた先見性のある人物として尊敬されている。Northern Electricの可能性を鋭く見抜いたスクリブナーは、Bell Canadaやカナダ国内の市場のレベルを超えた発展を促した。彼は、組織がより積極的に活動しその方向性を国外へ向けるために、外部から人材を登用するよう助言した。この貴重な助言が、ジョン・C・ロブの招聘につながった。
Robert Scrivener
 
John C. Lobb John C. Lobb  (ジョン・C・ロブ)

ロブは、1971年6月にNorthern Electricの社長に就任した。彼は就任後直ちに、いくぶん活気の薄れていた会社を、収益重視、グローバル指向の競争企業へと生まれ変わらせた。ロブは社員を手当たり次第に呼び止め、何を作る仕事をしているかを尋ね、その答えに対しては次のように言った。「われわれは、交換機なんかを作っているんじゃない。金を作っているのだ」。ロブは、Northern Electricの自己イメージを、カナダの小さな1企業から、国際市場で重要な役割を果たす可能性を秘めた特別な企業のイメージへと、劇的に変化させることに成功した。ロブが社長に就任した最初の1年間で、純利益は400万ドルから1,300万ドルへ急増し、翌72年には、これがさらに倍増した。
 
Derek Davies  (デレク・デイビス)

デレク・デイビスは、1970年代に、企業マーケティング責任者およびマーケティング推進戦略担当を務めた。デジタル化時代へと進む大転換は、デイビスが強力な推進役となって行われた。デイビスは、1976年に発表された「Digital World」の宣伝を戦略的に推進した。彼は次のように書き残している。「伝えるべき最も重要なメッセージは、『すべてを取得すること』だ。今後4年間ですべてのものがデジタル化へ向かう。その時、われわれは多岐にわたる包括的な製品を備えることになる」。デイビスの情熱、展望、そして信念は、はるかに早い時期から全社的なデジタル化を進めることで、競合他社に対し、技術面で2年間の優位性を確保することにつながった。
 
David G. Vice  (デーヴィッド・G・ヴァイス)

デーヴィッド・G・ヴァイスは、Northern Telecomの社長兼COO、および製造技術担当副会長を務めた。ヴァイスの時代には、新たに独立したBellの運営会社22社のうち、21社がNorthern Telecomをサプライヤーに選択した。ヴァイスは次のように回想している。「企業分割が行われた時、顧客はわが社を受け入れてくれた。顧客は長年AT&TとWestern Electricのサービスを受けており、それが当然のこととされていた。われわれは歓迎されたということだ」。
 
Walter Frederick Light  (ウォルター・フレデリック・ライト)

ウォルター・フレデリック・ライトは、Bell Canadaに25年間勤務した後、1974年にNorthern Electricの社長に就任した。ライトは、会社の将来について研究したうえで、低価格の生産メーカーとしてテクノロジーを先導し、市場主導型テクノロジーのリーダーとなることが必要と判断した。また、最も優秀な人材を集め確保する必要があると主張した。これを実現するため、最も優秀な社員100名を選考する制度を設けた。また、よりグローバルな視点が必要であるとも主張した。ライトのビジネス・センス、決断力そしてリーダーシップにより、今日のような新たな高性能インターネットが採用された情報スーパーハイウェイの出現を予測し、これに備えることが可能となった。
Walter Frederick Light
 
Edmund B. Fitzgerald Edmund B. Fitzgerald  (エドモンド・B・フィッツジェラルド)

エドモンド・B・フィッツジェラルドは、1982年にNorthern Telecom社長に就任し、その2年後に会長兼CEOに就任した。「フィッツ」というニックネームで呼ばれた彼は、一流のスポークスマンであり、マーケティング担当者でもあった。フィッツの時代にNorthern Telecomは、年間売上高17億ドル企業から年間50億ドルのマーケット・リーダーへと成長した。
 
Paul G. Stern  (ポール・G・スターン)

ポール・G・スターンは、1989年にNorthern TelecomのCEOに就任した。スターンは、国際市場における顧客ニーズへの対応を優先することに重点を置いた。フランス企業、イギリス企業との間で戦略的提携の交渉を行なったほか、メキシコの実業界との間にも緊密な関係を構築した。
Paul G. Stern
 
Charlie Shiu Charlie Shiu  (チャーリー・シウ)

36年間の大半をマーケティング担当役員として勤務したチャーリー・シウは、「Digital World」「OPEN world」の発足に重要な役割を果たした。1997年に、英仏市場への進出を目的として新設された海外関連会社マーケティング・グループの責任者となった。シウは、中国における事業に大きく貢献し、Northern World Tradeの戦略開発担当副社長に指名された。
 
Owen Bradford Butler  (オーウェン・ブラッドフォード・バトラー)

オーウェン・ブラッドフォード・バトラーは、1993年にNorthern Telecomの企業統治規程が改訂された後、最初に選任された会長である。バトラーは長年にわたりNorthern Telecomの取締役を務めており、米国のProctor and Gambleの元会長でもあった。
Owen Bradford Butler
 
Donald Schuenke  (ドナルド・シュエンク)

ドナルド・シュエンクは、1994年にNorthern Telecom会長に選任された。それまでは米国ウィスコンシン州のNorthwestern Mutual Lifeの会長兼CEOであった。「企業には、ビジョンと戦略的プランがなければならない。ビジネス・チャンスが巡って来た時に、どれを選択するかの判断指針として有効だからだ。事態が起こってから対応するのでは遅いのだ」。
 
Jean C. Monty Jean C. Monty  (ジャン・C・モンティ)

ジャン・C・モンティは、1992年にNorthern Telecom社長に就任した。前職はBell Canadaの会長兼CEOであった。彼は、大きな変革の時期を迎えていたNorthernの指揮に取りかかった。「管理システムを作り、私へ報告を行なう立場にはないスタッフと直接リンクして、非公式な情報ネットワークを構築しようとした。意思決定プロセスを迅速化する必要があったためだ」。モンティは、成長の見込まれる製品に対する数億ドル規模の投資や、国際的な規模の拡大を目指した数百万ドルの投資など、大胆な意思決定を行なった。
 
Roy Merrills  (ロイ・メリルス)

Northern Telecom社長のロイ・メリルスは、米国のジョージ・ブッシュ大統領から「President's Environment and Conservation Challenge Award for Innovation」を受賞した。メリルスはその任期中、顧客との間で真のパートナーシップを構築することを、最優先のビジネス目標に設定した。「1度、顧客に社内のコンピュータ部門を見てもらったことがあったが、その時は大騒ぎになった。顧客に直接データベースを見てもらい、ソフトウェアでどのような誤りが生じる可能性があるか知ってもらうことを実現するには、まず社内でこれを受け入れるための多大な努力が必要だった。しかし、われわれは、これを実行し、顧客に対する会社の態度を変えることができた。顧客が工場を訪問する時はいつも、従業員が『We love you』という掲示を貼るようにしている。ある時、製造現場を訪れた顧客が、その掲示を見て泣いている姿を見たことがある」。
 
John Roth  (ジョン・ロス)

前社長兼最高経営責任者のジョン・ロスは、現在、取締役副会長の座に就いている。ロスは、1969年に設計エンジニアとしてNortel Networksに入社して以来、Nortel Networksならびに子会社で、経営幹部として幅広い役職を経験している。ロスは、ノーテルのワイヤレス・ビジネスの確立に大きく貢献し、Wireless Networkの初代社長も務めている。
John Roth
 
Frank Dunn  (フランク・ダン)

フランク・ダンは2001年11月から2004年4月までノーテルの社長兼最高経営責任者(CEO)を勤めました。ノーテルには25年間在籍し、その責任範囲を広げ、社内の主な部門における運営を行いました。CEO就任の前は、最高財部責任者(CFO)を2年間勤めています。
 
John Roth William Owens  (ウィリアム・オーエンス)

ウィリアム(ビル)・オーエンスは2004年4月から2005年11月までノーテルの社長兼最高経営責任者を勤めました。ノーテル入社以前は、米国の軍隊においていくつもの上級職に就きました。それには米国の軍隊の2番目に位置する統合参謀本部副議長にも就任しています。オーエンスはまた、軍部のハイテク化を進める軍部革命(RMA:the Revolution in Military Affairs)の設計士も歴任し、このRMAは、第二次大戦以来、4つの軍隊に対して、システム要件、予算、技術面において重要な変革をもたらしました。2004年、オーエンスは、権威ある業界誌Network Worldによりネットワーキング分野におけるもっとも実力のある50人の一人に選出されています。